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原爆文学「夏の花」で知られる小説家・詩人の原民喜は、明治38(1905)年11月15日、広島市幟町(現・中区)に、父信吉、母ムメの五男として生まれた。原家は、陸海軍御用達の縫製業を営んでいた。明治45・大正元(1912)年、広島県師範学校附属小学校(現・広島大学附属東雲小学校)に入学。大正6(1917)年、兄守夫と家庭内同人雑誌「ポギー」をつくる。以後、「沈丁花」「霹靂」と約11年間断続的に家庭内雑誌を発行していく。大正8(1919)年、広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属中学校)に入学。在学中、文学に深い関心を寄せ、熊平武二、長光太らの「少年誌人」に参加。本格的同人雑誌の時代が始まる。大正13(1924)年、慶應義塾大学文学部予科に入学。翌年から「芸備日日新聞」にダダ風の詩を発表。昭和7(1932)年、同大学卒業。昭和8(1933)年3月、広島県三原市本郷町の永井貞恵と結婚。貞恵の弟善次郎は、評論家佐々木基一。昭和10(1935)年3月、掌編小説集『焔』を白水社から自費出版。以後、多くの短編小説を「三田文学」「作品」「文芸汎論」などに発表。昭和14(1939)年、妻貞恵結核を発病。昭和17(1942)年から同19(1944)年まで、船橋市立船橋中学校に嘱託英語講師として勤務。昭和19年9月、妻貞恵死去。昭和20(1945)年1月、広島市幟町の長兄信嗣のもとに疎開。8月6日に被爆。昭和21(1946)年に上京し、「三田文学」の編集に携わる。翌年、「三田文学」6月号に「夏の花」を発表。この作品により、第一回水上瀧太郎賞を受賞。昭和25(1950)年、日本ペンクラブ広島の会主催の平和講演会に参加のため帰郷。同年、「群像」4月号に「美しき死の岸に」を、「近代文学」8月特別号に「原爆小景」を発表。昭和26(1951)年3月13日に鉄道自殺をした。
(広島大学名誉教授 岩崎文人)
ペン書き。東京文房堂製400字詰め原稿用紙3枚。没後、「近代文学」(昭和28年6月号)に、「誕生日」「もぐらとコスモス」(いずれも童話)とともに掲載されたもの。
「近代文学」は、昭和21(1946)年1月に、原民喜の義弟佐々木基一、荒正人、平野謙ら7人によって創刊された文芸雑誌。原民喜は、同23(1948)年6月に「近代文学」の同人となっており、同誌に、「火の踵」(昭和23年10月号)、「夏の花」三部作の一つ「壊滅の序曲」(同24年1月号)、「苦しく美しき夏」(同年5・6月合併号)、「原爆小景」(同25年8月号)などを発表している。
原民喜の小説は少年時を回想したもの、妻貞恵を追慕したもの、被爆体験を軸にしたものに大別できるが、これに短詩型文学(俳句・詩)、童話を加えると、ほぼトータルな形で原民喜の文学を俯瞰できる。この内童話は、原民喜の文学的資質である繊細な純粋性が最もよく表れたものといってよい。
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