貴重資料コレクション 郷土作家の自筆原稿

若杉慧(わかすぎけい)(1903〜1987)

解説

 『エデンの海』で知られる若杉慧(本名(さとし))は、明治36(1903)年8月29日、広島県安佐郡戸山村(現・広島市安佐南区)に父芳衛、母コマの長男として生まれた。大正12(1923)年、広島県師範学校(現・広島大学)を卒業後、安佐郡小河内尋常小学校、広島市大手町尋常高等小学校、広島県立忠海高等女学校、神戸市立神戸尋常高等小学校、神戸成徳高等女学校を歴任。大手町尋常高等小学校の受け持ちに峠三吉、神戸尋常高等小学校の教え子に島尾敏雄、陳舜臣がいた。昭和9(1934)年、短編集『ひそやかな飼育』を自費出版。昭和16(1941)年11月、「文芸首都」に発表した「断蓬」から若杉慧の筆名を用いる。昭和18(1943)年9月に「文学界」に発表した「淡墨」が芥川賞の候補作になる。昭和19(1944)年から同23(1948)年まで国立広島商船学校に勤務、その後埼玉に転居、文筆生活に入る。昭和22(1947)年に文化書院から刊行された『エデンの海』は、三度(昭和25年公開 監督:中村登、主演:鶴田浩二・藤田泰子/昭和38年公開 監督:西河克己、主演:高橋英樹、和泉雅子/昭和51年公開 監督:西河克己、主演:南條豊、山口百恵)も映画化された名作で、石坂洋次郎の『若い人』(昭和12年)と並び、教師と教え子との愛を描いた不朽の青春小説である。以後、『乳房あるアマゾン』(四季社、昭和26年)、『青春前期』(大日本雄弁会講談社、昭和29年)と小説の刊行が続くが、次第に写真と石仏に関心を移し、『野の仏』(東京創元社、昭和33年)、『石仏のこころ』(鹿島研究所出版会、昭和42年)などを刊行していく。昭和50(1975)年、講談社より『長塚節素描』を刊行、この作品により平林たい子文学賞を受賞。

(広島大学名誉教授 岩崎文人)

心臓(短編小説)

 ペン書き。中国文化連盟製400字詰め原稿用紙10枚。「中国文化」昭和21年9月号に掲載されたもの。「中国文化」は、広島県山県郡壬生村(現・北広島町)に疎開していた細田民樹を顧問とし、栗原唯一・貞子夫妻を中心に、昭和21(1946)年3月に創刊された同人雑誌で、昭和23(1948)年7月、18号まで発行された。
 「心臓」は、青風荘という下宿屋を営むお内儀(かみ)さんと孤児となってお内儀さんに引き取られた姪貴代子の何気ない日常を通して、それぞれの内面のドラマをあざやかに浮き彫りにした好短編。タイトルが記された1枚目には、「広島県豊田郡東野村 広島商船学校 若杉慧」と書かれており、謙虚で律儀な人柄がうかがわれる。なお、若杉慧が広島商船学校に勤務するのは、この短編が発表された翌々年昭和23(1948)年までで、以後、作家生活に専念することになる。

自筆原稿を見るための条件,機能の説明については,こちらを御覧ください。

郷土作家の自筆原稿トップページに戻る
ページを閉じる
Copyright© 広島県立図書館 Hiroshima Prefectural Library. All rights reserved.