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「青い目の人形」と「ミス広島」


 「戦前,アメリカから贈られた「青い目の人形」と,その答礼として日本から贈られた日本人形について,特に広島県に関わることが調べたい。」と質問がありました。
 当館の蔵書検索で,キーワードに「青い目」「人形」と入力して検索すると,『青い目をしたお人形は』という資料がヒットしました。それによると,「青い目の人形」とは,昭和2(1927)年にアメリカの宣教師のシドニー・ギュリック博士が提唱し,「友情の人形」として日本に贈られた人形のことで,その総数は約12,000体にものぼり,広島県には326体の「青い目の人形」が届けられています。また,『備南の風土記』によると,昭和2年4月20~26日に広島県商品陳列所(現原爆ドーム)で展示された後,県内各地の小学校や幼稚園に贈られました。当時の『中国新聞』に,「アメリカから来たお人形の展覧会」として写真付きで記事が掲載されており,その歓迎ぶりがうかがえます。
 その後,日本からは58体の日本人形(市松人形)が答礼としてアメリカへ贈られました。当時の『中国新聞』は,「ミス広島」と名付けられた広島県代表の市松人形の送別展や送別会の様子を伝えています。「ミス広島」の受入先は,メリーランド州ボルチモア美術館でした。雑誌『芸備教育』には,ボルチモア美術館の館長から広島県知事に宛てた御礼状(和文)と,美術館での展示の様子を写した写真が掲載されており,アメリカでも大切にされていたようです。

 太平洋戦争に突入した日本では,「青い目の人形」は「敵国のスパイ」とみなされて処分の対象となり,ほとんどが失われましたが,一部の人形が奇跡的に保存されていました。『日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館 2003年度年報』によると,広島県内でも福山市や尾道市などで5体の「青い目の人形」の存在が確認されています。
 一方,答礼人形としてアメリカに贈られた市松人形の「ミス広島」は,戦中戦後も大切に保存されていたことが『語りかける人形たち』に記載されています。昭和49(1974)年には,「化粧直し」のために日本に「里帰り」を果たしています。この「ミス広島の里帰り」は,当時の『中国新聞』にも掲載されて話題となりました。


国立国会図書館レファレンス協同データベースでも紹介しています。このレファレンスで調査した資料の詳細については,こちらを御覧ください。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000224503